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選択中の手続き名: 偉人の顕彰に関するアンケート(小学校5・6年生、中学生)※顕彰(けんしょう):功績(こうせき)などを一般に知らせ、表彰(ひょうしょう)すること

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説明
岡山市議会「歴史・文化をいかしたまちづくり調査特別委員会」では、偉人の功績を次の世代へつなぐ仕組みづくりを検討しています。
皆さんの声が岡山市の未来の文化を形づくる第一歩となります。ご協力をお願いします。
受付時期
2026年2月20日0時00分 ~ 2026年3月20日23時59分
問い合わせ先
岡山市議会議会局政策調査課
電話番号
086-803-1535
FAX番号
メールアドレス
chousaka@city.okayama.jp

質問1 あなたの学年を選(えら)んでください。 必須
質問1 あなたの学年を選(えら)んでください。

質問2

岡山市に関係があるすごい人(偉人(いじん))を、下記のとおり例をあげて
簡単な説明をつけて紹介しています。あなたの知っている人を選んでくだ
さい。
※いくつでも選べます。知っている人がいなければ、選ばなくてもよいです。
瀧 善三郎(たき ぜんざぶろう)(1837~1868) 【政治・社会】
岡山藩(はん)の武士。フランス水兵との銃(じゅう)のうち合いになった『神戸事件』というできごとの責任をとって、命と引きかえに外国との問題をおさめました。
瀧 善三郎(たき ぜんざぶろう)(1837~1868) 【政治・社会】

犬養 毅(いぬかい つよし)(1855~1932) 【政治・社会】
第29代内閣(ないかく)総理大臣。『五・一五事件』というできごとで、命を落としました。
犬養 毅(いぬかい つよし)(1855~1932) 【政治・社会】

宇垣 一成(うがき かずしげ)(1868~1956) 【政治・社会】
軍人・政治家。若くして先生になるための試験に合格後、10代で小学校の校長になり、その後、陸軍大臣になりました。
宇垣 一成(うがき かずしげ)(1868~1956) 【政治・社会】

横山 昊太(よこやま こうた)(1889~1974) 【政治・社会】
政治家。20年の長きにわたり岡山市議会議員を務めた後、昭和26年岡山市長に就任し、戦後の復興と地方自治の振興(しんこう)に貢献(こうけん)しました。岡山市名誉(めいよ)市民です。
横山 昊太(よこやま こうた)(1889~1974) 【政治・社会】

岡崎 平夫(おかざき ひらお)(1909~1993) 【政治・社会】
政治家。5期20年の長きにわたり、岡山市長として岡山市発展の基礎(きそ)を築き、地方自治の振興に貢献しました。岡山市名誉市民です。
岡崎 平夫(おかざき ひらお)(1909~1993) 【政治・社会】

江田 五月(えだ さつき)(1941~2021) 【政治・社会】
政治家。『参議院』という政治の場所で議長をしました。もともとは法律の仕事をして、自由な考え方を大事にした人です。
江田 五月(えだ さつき)(1941~2021) 【政治・社会】

浮田 幸吉(うきた こうきち)(1757~1847?) 【産業・社会開発】
巻物などを作る表具師(ひょうぐし)。強度を持たせた翼(つばさ)を作り、旭川にかかる京橋の欄干(らんかん)から飛び、日本で初めて空を飛んだとされる人です。
浮田 幸吉(うきた こうきち)(1757~1847?) 【産業・社会開発】

藤田 伝三郎(ふじた でんざぶろう)(1841~1912) 【産業・社会開発】
実業家。明治期に児島湾(こじまわん)の干拓(かんたく)事業を手がけ、干拓地としてつくられた村に『藤田』の地名がつけられました。
藤田 伝三郎(ふじた でんざぶろう)(1841~1912) 【産業・社会開発】

ローウェンホルスト・ムルデル(1848~1901) 【産業・社会開発】
オランダの土木技師。児島湾の干拓事業にかかわりました。
ローウェンホルスト・ムルデル(1848~1901) 【産業・社会開発】

山羽 虎夫(やまば とらお)(1874~1957) 【産業・社会開発】
電気技師。日本初の国産自動車となる蒸気(じょうき)自動車をつくり、試運転をしました。
山羽 虎夫(やまば とらお)(1874~1957) 【産業・社会開発】

谷口 久吉(たにぐち ひさきち)(1889~1968) 【産業・社会開発】
実業家。山陽新聞社社長、山陽放送社長として第二次世界大戦後の荒廃(こうはい)した社会の浄化(じょうか)と新しい地方文化の育成に貢献しました。岡山市名誉市民です。
谷口 久吉(たにぐち ひさきち)(1889~1968) 【産業・社会開発】

守分 十(もりわけ ひさし)(1890~1977) 【産業・社会開発】
銀行家。中国銀行頭取(とうどり)、岡山県経済団体連合会会長として、第二次世界大戦後の荒廃(こうはい)した産業経済の復興・発展に尽力(じんりょく)しました。岡山市名誉市民です。
守分 十(もりわけ ひさし)(1890~1977) 【産業・社会開発】

松田 壮三郎(まつだ そうざぶろう)(1895~1991) 【産業・社会開発】
実業家。両備バス社長、西大寺商工会議所会頭(かいとう)として地方産業の振興に尽力(じんりょく)するとともに、岡山県議会議員として県政に参画し、地方自治の発展に貢献しました。岡山市名誉市民です。
松田 壮三郎(まつだ そうざぶろう)(1895~1991) 【産業・社会開発】

土光 敏夫(どこう としお)(1896~1988) 【産業・社会開発】
実業家。経済・産業関係の要職を歴任し、とりわけ昭和49年第4代経済団体連合会会長に就任し、強烈(きょうれつ)なバイタリティ(生命力)と卓越(たくえつ)した識見(しきけん)をもって日本経済の発展に貢献しました。岡山市名誉市民です。
土光 敏夫(どこう としお)(1896~1988) 【産業・社会開発】

相賀 武夫(おうが たけお)(1897~1938) 【産業・社会開発】
小学館・集英社という、本などをつくって売る会社を始めた人。日本の出版文化の基礎を築きました。
相賀 武夫(おうが たけお)(1897~1938) 【産業・社会開発】

藤井 高尚(ふじい たかなお)(1764~1840) 【学問・教育・社会福祉】
国学者・歌人・神官。吉備津神社で宮司(ぐうじ)になりました。歌文の学問が得意で、国学(こくがく)を普及(ふきゅう)するため活躍(かつやく)しました。
藤井 高尚(ふじい たかなお)(1764~1840) 【学問・教育・社会福祉】

難波 抱節(なんば ほうせつ)(1791~1859) 【学問・教育・社会福祉】
医師。現在の北区御津金川に『思誠堂』(しせいどう)という医学の塾(じゅく)を開くとともに、緒方洪庵から種痘法(しゅとうほう ワクチンによる治療の方法)を学び、『天然痘』(てんねんとう)という感染(かんせん)する病気から多くの子どもを救いました。
難波 抱節(なんば ほうせつ)(1791~1859) 【学問・教育・社会福祉】

緒方 洪庵(おがた こうあん)(1810~1863)【学問・教育・社会福祉】
蘭学(らんがく)者・医師。大阪に医学を学ぶ『適塾』(てきじゅく)を開き、福沢諭吉(ふくざわゆきち)らを育てました。コレラ(伝染病)流行時には治療(ちりょう)法を広め、多くの人の命を救いました。
緒方 洪庵(おがた こうあん)(1810~1863)【学問・教育・社会福祉】

江川 三郎八(えがわ さぶろうはち)(1860~1939) 【学問・教育・社会福祉】
建築(けんちく)技師。岡山を中心に洋風木造建築を数多く設計し、重要文化財の旧旭東(きょくとう)小学校附属(ふぞく)幼稚園園舎(八角園舎 はっかくえんしゃ)など、今も残る名建築を手がけました。
江川 三郎八(えがわ さぶろうはち)(1860~1939) 【学問・教育・社会福祉】

矢部 辰三郎(やべ たつさぶろう)(1863~1924)【学問・教育・社会福祉】
海軍軍医総監(かいぐんぐんいそうかん)。岡山大学医学部の前身の岡山県医学校を第一期生として卒業しました。翻訳(ほんやく)本を出版するなかで、日本で初めて「免疫(めんえき)」という言葉を使いました。
矢部 辰三郎(やべ たつさぶろう)(1863~1924)【学問・教育・社会福祉】

石井 十次(いしい じゅうじ)(1865~1914)【学問・教育・社会福祉】
岡山孤児(こじ)院の創設(そうせつ)者。児童福祉(じどうふくし)と教育の融合(ゆうごう)を実践(じっせん)し、『児童福祉の父』と呼ばれ、教育を通じて社会的に弱い人たちを支援しました。
石井 十次(いしい じゅうじ)(1865~1914)【学問・教育・社会福祉】

岸本 能武太(きしもと のぶた)(1866~1928)【学問・教育・社会福祉】
宗教(しゅうきょう)学者。宗教社会学という学問の草分けの人となりました。
岸本 能武太(きしもと のぶた)(1866~1928)【学問・教育・社会福祉】

藤井 靜一(ふじい せいいち)(1870~1952)【学問・教育・社会福祉】
社会運動家。社会福祉事業に生涯(しょうがい)をささげ、地域の身近な相談相手である現在の民生委員制度の生みの親の一人となった人です。
藤井 靜一(ふじい せいいち)(1870~1952)【学問・教育・社会福祉】

上代 淑(かじろ よし)(1871~1959)【学問・教育・社会福祉】
教育者。山陽高等女学校、山陽女子高等学校校長として、草創期(そうそうき)の日本女子教育並びに私学振興に大きな業績を残しました。岡山市名誉市民です。
上代 淑(かじろ よし)(1871~1959)【学問・教育・社会福祉】

光田 健輔(みつだ けんすけ)(1876~1964)【学問・教育・社会福祉】
医師。長島愛生園の園長を81歳の高齢(こうれい)で退(しりぞ)くまで救らい事業(ハンセン病(『らい菌(きん)』という細菌が原因の慢性(まんせい)感染症)の救護(きゅうご)と治療(ちりょう)などを目的とする仕事)に献身し、全国数十万人の患者(かんじゃ)から慈父(じふ:子に対し深い愛情をもつ父)と慕(した)われました。岡山市名誉市民です。
光田 健輔(みつだ けんすけ)(1876~1964)【学問・教育・社会福祉】

高田 馬治(たかた うまじ)(1882~1968)【学問・教育・社会福祉】
教育者・郷土史家(きょうどしか)。岡山県立高松農業高校の初代校長です。郷土史研究の分野でも活躍しました。岡山市に合併(がっぺい)する前の旧高松町名誉町民です。
高田 馬治(たかた うまじ)(1882~1968)【学問・教育・社会福祉】

田中 文男(たなか ふみお)(1883~1963)【学問・教育・社会福祉】
医師。耳鼻咽喉(じびいんこう)学会の世界的権威(けんい)であり、岡山医科大学(現岡山大学医学部)の教授、学長として医学養育に貢献しました。岡山市名誉市民です。
田中 文男(たなか ふみお)(1883~1963)【学問・教育・社会福祉】

大賀 一郎(おおが いちろう)(1883~1965)【学問・教育・社会福祉】
植物学者。縄文(じょうもん)時代のハスの種子を発芽させた(『大賀ハス』と名付けられました)ことで世界的に注目されました。
大賀 一郎(おおが いちろう)(1883~1965)【学問・教育・社会福祉】

三宅 精一(みやけ せいいち)(1926~1982)【学問・教育・社会福祉】
社会事業家・発明家。点字ブロックの考案者です。岡山県立岡山盲学校(もうがっこう)近くの国道に自分のお金で点字ブロックを設置しました。
三宅 精一(みやけ せいいち)(1926~1982)【学問・教育・社会福祉】

尾上 松之助(おのえ まつのすけ)(1875~1926)【文学・文化・芸術・芸能】
歌舞伎(かぶき)役者・映画俳優(えいがはいゆう)・映画監督(かんとく)。1,000本以上の映画に出演し、日本映画草創(そうそう)期に活躍(かつやく)した映画スターです。『目玉の松ちゃん』の愛称(あいしょう)で親しまれました。
尾上 松之助(おのえ まつのすけ)(1875~1926)【文学・文化・芸術・芸能】

木下 利玄(きのした りげん)(1886~1925)【文学・文化・芸術・芸能】
足守藩最後の藩主を養父に持つ歌人。短歌革新(かくしん)運動に取り組み、白樺派(しらかばは)の中心作家として活躍しました。
木下 利玄(きのした りげん)(1886~1925)【文学・文化・芸術・芸能】

内田 百閒(うちだ ひゃっけん)(1889~1971)【文学・文化・芸術・芸能】
小説家。鉄道エッセイ『阿房列車』(あほうれっしゃ)などちょっと不思議でおもしろいお話を書き、有名になりました。ペンネームは岡山市を流れる百間川(ひゃっけんがわ)に由来しています。
内田 百閒(うちだ ひゃっけん)(1889~1971)【文学・文化・芸術・芸能】

国吉 康雄(くによし やすお)(1889~1953)【文学・文化・芸術・芸能】
洋画家。アメリカで活躍し、「現代アメリカのもっともすぐれた10人の画家」の一人として選ばれました。
国吉 康雄(くによし やすお)(1889~1953)【文学・文化・芸術・芸能】

坪田 譲治(つぼた じょうじ)(1890~1982)【文学・文化・芸術・芸能】
児童文学作家。近代日本児童文学振興の功労(こうろう)者であり、『風の中の子供』『子供の四季』『善太と三平』等数多くの名作を残しました。1984年岡山市により『坪田譲治文学賞』ができました。岡山市名誉市民です。
坪田 譲治(つぼた じょうじ)(1890~1982)【文学・文化・芸術・芸能】

吉行 あぐり(よしゆき あぐり)(1907~2015)【文学・文化・芸術・芸能】
美容師。小説家・吉行淳之介(じゅんのすけ)、女優(じょゆう)・吉行和子(かずこ)、小説家・吉行理恵(りえ)は、あぐりの子どもです。1997年上期のNHK連続テレビ小説『あぐり』のモデルとなりました。
吉行 あぐり(よしゆき あぐり)(1907~2015)【文学・文化・芸術・芸能】

吉行 淳之介(よしゆき じゅんのすけ)(1924~1994)【文学・文化・芸術・芸能】
小説家。『驟雨』(しゅうう)で芥川賞(あくたがわしょう)を受賞しました。多くの文学賞の選考委員をしました。
吉行 淳之介(よしゆき じゅんのすけ)(1924~1994)【文学・文化・芸術・芸能】

時実 新子(ときざね しんこ)(1929~2007)【文学・文化・芸術・芸能】
川柳(せんりゅう)作家・随筆(ずいひつ)家。女性の情念を鮮烈(せんれつ)に表現したものが多く、川柳界に新しい風を吹(ふ)き込みました。
時実 新子(ときざね しんこ)(1929~2007)【文学・文化・芸術・芸能】

森安 なおや(もりやす なおや)(1934~1999)【文学・文化・芸術・芸能】
漫画(まんが)家。トキワ荘(そう)(手塚治虫(てづかおさむ)をはじめとした漫画家が住み集(つど)い、若き青春の日々を過ごした伝説のアパート)の居住者の一人としても知られています。作品の多くは『漫画少年』などの雑誌や貸本屋向けの書き下ろし単行本に掲載(けいさい)されました。
森安 なおや(もりやす なおや)(1934~1999)【文学・文化・芸術・芸能】

常ノ花 寛市(つねのはな かんいち)(1896~1960)【スポーツ】
大相撲(おおずもう)力士で、第31代横綱(よこづな)。旧内山下小学校出身。日本相撲協会のリーダーとして、終戦直後の東京で大相撲復興の基礎を築きました。
常ノ花 寛市(つねのはな かんいち)(1896~1960)【スポーツ】

人見 絹枝(ひとみ きぬえ)(1907~1931)【スポーツ】
陸上競技選手。日本人女性初のオリンピックメダリスト(1928年アムステルダム大会)。陸上競技で世界記録を樹立(じゅりつ)した女性スポーツの先駆者(せんくしゃ)です。
人見 絹枝(ひとみ きぬえ)(1907~1931)【スポーツ】

木原 光知子(きはら みちこ)(1948~2007)【スポーツ】
水泳選手・タレント・実業家。1964年の東京オリンピックに出場し、400mリレーで4位に入賞しました。引退後は日本水泳連盟(れんめい)初の女性理事をするなど、多方面で活躍しました。
木原 光知子(きはら みちこ)(1948~2007)【スポーツ】

※ただし、時代は江戸中期(1700年ごろ)以降で、すでに亡(な)くなっている人とします。

入力文字数: 0 / 2000

※選んだ、または記入したすべての人について記入しなくてもかまいません。

入力文字数: 0 / 2000

質問5 必須
質問2で紹介(しょうかい)したような岡山市ゆかりの偉人を展示する企画展
(きかくてん)などがあれば行ってみたいですか。
質問5

質問6 必須
岡山市ゆかりの偉人を顕彰(けんしょう)(功績(こうせき)などを一般に知らせ、表彰(ひょうしょう)すること)する必要があると思いますか。
質問6

アンケートのご協力ありがとうございました。

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